二俣川キリスト教会 | お店のミカタ https://futamatach.on.omisenomikata.jp/ 教会は、心豊かな人生を願うすべてのみなさんの、こころの広場です。 【日記】 自然界とのふれあい Sat, 13 Jul 2013 18:11:25 +0900 501294 https://futamatach.on.omisenomikata.jp/diary/501294 知り合いの21歳の男子は、なかなか元気なナイス・ガイです。けれど、聞けばがらにもなく(?)<br />あらゆる種類の虫が苦手とのこと。普通男の子なら夢中になるカブトムシなんかでも、腕などに止まられた時の、あのチクチク感がなんともいやだそうです。でも、こんな子は案外多いのかもしれませんね。それから、以前小学生の男の子と、郊外の田んぼ地域に、水路にいる小魚などの生物をとりにでかけたことがあります。とても興味を持って一日あぜ道をあるいたのですが、少量の水が流れる水路には、とうとうその日一日、一度も入ることはありませんでした。<br /> 地方の自然の中で遊び育った筆者にしてみますと、都会の子どもたち(大人も?)の自然とのかかわりはきわめて希薄です。自然とかかわると言うことは、ただ眺めて美しいということで終わるものではなく、無数の動植物との出合いであり、生命とじかに触れ合うことです。そういう意味では、自然との触れ合いが希薄であることは、人として成長する上で、とても大きな損失です。<br /> 夏休みも間近です。ねがわくは、豊かな自然の中で過ごす機会を子どもたちに与えてやりたいものです。&nbsp; 【日記】 聖霊降臨祭 Sun, 19 May 2013 23:40:08 +0900 473197 https://futamatach.on.omisenomikata.jp/diary/473197 今やクリスマス(キリスト降誕祭)を知らない人は少ないでしょう(その意味をご存知かどうかは別として)。家族で楽しいディナー、ケーキを囲んだり、サンタさんのプレゼントを楽しみにしたり、恋人とデートしたり、その日を楽しみにする人は多いと思います。イースター(キリスト復活祭)はどうでしょう。クリスマスに比べると知名度はちょっと落ちるかと思います。でも、昨今は、イースターの名を冠したセールや、イベントなどを見聞きすることもあり、少しずつ知られるようになってきています。ところで、クリスマス、イースターとならんで、キリスト教会の三大祭のひとつ、ペンテコステ(聖霊降臨祭)はどうでしょう。こちらは、ご存知の人は余りないです。西洋文学に親しんだ人がどこかで読んだような気がする、という程度かもしれません。<br /> これは、紀元一世紀、イエス・キリストが生まれ、育ち、成人して公的活動に日々を過ごされた後、ユダヤの人々によって十字架の死を受けられ、人間の罪深さをあがなって、三日目に復活され、昇天された、そして、復活から五十日後(ペンテコステとはギリシャ語で「第五十」を意味します)、弟子たちの上に天から神の霊が注がれた、聖書が記述するこの日を、ペンテコステとして教会は記念し続けてきたというわけです。イエス・キリストは神のもとに帰られましたが、聖霊はキリストの霊として、キリストを仰ぐ人たちとともにあって導いてくださるということなのです。<br /> キリストを裏切ってしまった弟子たち、キリストを天に送って戸惑う弟子たちの上に、神の霊が注がれた結果、彼らはキリストの十字架による救いの意味を、身をもって理解することができるようになりました。その時、彼らの意識は一新されたのです。そして、彼らは見えないキリストの霊、神の霊、聖霊に導かれて歩むようになりました。<br /> 聖書のおとずれは、抽象的な知識ではありません。人に、自分が真に罪深い存在であることを悟らせ、キリストがその自分のために神の裁きをうけてくださったことを悟らせるものです。人の救いはそこから確実に始まるのです。この、「目からうろこ」を実現し、わたしたちを新しい人に造り変えてくださるもの、それが聖霊なのです。聖霊なくして、教会は生まれませんでした。その意味で、ペンテコステは、教会の誕生日でもあるわけです。<br /> ペンテコステ、へんてこな?名前ですが、覚えておいてくださいね。&nbsp; 【日記】 根付いた喜び Fri, 03 May 2013 23:42:48 +0900 466290 https://futamatach.on.omisenomikata.jp/diary/466290 クリスマスに、知り合いの植木屋さんから、もみの木の代わりにトウヒの木を安くゆずっていただきました。大きめの鉢に植えて、教会の正面わきに置き、オーナメントを飾りました。植栽があると建物の景観が落ち着くので、クリスマスが終わってからも、飾りを外して、そのままにしておきました。植木屋さんは、「枝ぶりのいい木じゃないし、ツリー代わりなんだから、終わったらもう処分しちゃってくださいよ」と言ってくれたのですが、植物を使い捨てにするのが嫌いな筆者は、なんとか木を生かしたいと思っていました。<br /> 木の丈はかなりあって、根も張っていました。大きな鉢を用意したつもりでしたが、根の収まりは良くなかったのです。それに、年末の忙しい中、また、厳しい冷え込みの中、とり急いで植えこんだので、 土が根鉢の中に十分入りこんだかどうか、確信がありませんでした。気にしながら冬を過ごしたわけです。春になってもなかなか新芽はでませんでした。心配になって、改めて植え込み直しました。突っ張った根は伐り込み、水を浸しながら、土が根と根の間にしっかり入り込むように気を付けました。<br /> しかし、その後も、木はなかなか、春の息吹をかんじさせてくれませんでした。そればかりか、4月も終わりになるにつれ、葉が少しずつ黄ばんできたのです。これはもしかしたら、立ち枯れになつてしまうのか、と本当に心配しておりました。それが、5月の声を聞いたとたん、上の方の枝の先端に、小さな新芽がふくらみ始めたのです。そして、下の方の枝先も、注意して見ると、とても小さくはありますが、黄緑色の新芽が出始めてきたのです。二三日前にそれを発見した時は、本当にうれしく、つい興奮してしまいました。根付いたのです。新しい根が生え始めたに違いありません。今はもう、新芽が少しでも大きく成長してくれることが何よりの楽しみです。<br />(フォトは、本文と関係ありません。大池公園の散歩道のわきに生えている、アオカモジグサです。ありふれた雑草ですが、その穂が生え出て、春の太陽の光の中、緑色に輝いていました。)&nbsp; 【日記】 謙虚さを忘れないで Mon, 29 Apr 2013 15:42:25 +0900 464049 https://futamatach.on.omisenomikata.jp/diary/464049 現政権の内閣閣僚の何人かが、春の例大祭を迎えた靖国神社に参拝したことが報じられました。これが、中国、韓国を刺激し、反発を招いたことも伝えられました。これは、従来のいきさつを見ても予想できることでした。しかし、現首相は、この反発に対して反論する趣旨のコメントをしています。報道によれば、日本の国のために散った英霊を参拝することは当然のことである、国内事情に対して外からとやかくいわれることはない、今内閣は、いかなる脅しにも屈しない、という趣旨でありました。参拝した他の閣僚も、同趣旨の発言をしていました。さらに、いわゆる日本の植民地支配について、負の部分だけではなかった、との歴史観を披歴するコメントもありました。<br /> 首相を始め、これらの人たちが、それなりの信念をもっていることは伝わって来ました。また、どのような考え方、価値観をもっているかも察しがつきました。それを踏まえながら、しかし、率直に言って、何か違う、とても大きな点で何か違うと感じます。<br /> 人は、他人から傷つけられた時、その痛みを忘れることはありません。傷つけた方は忘れても、傷つけられた方は決して忘れはしないものです。赦したとしても、その痛みを忘れることはないでしょう。国と国の関係でも、その心情に変わりはないはずです。わが国が、かつて、近隣の国々に対して行った、威力による支配は、厳然たる事実です。そして、支配された人々は、その痛みを忘れることはないのです。この現実に対しては、謙虚にそれを認識し、その謙虚な認識は持ち続けなければならないものです。これは自虐でも、卑屈でもなんでもありません。<br /> しかし、今回の諸大臣のコメントには、それが少しも感じられないのです。どんな主張をするのも自由です。卑屈になる必要もありません。しかし、過去に対するあの謙虚さは決して忘れてはならないものです。これは、人として、国として欠落してはならない最低のモラルです。それ抜きに、過去を美化しようとしたり、気色ばむ相手の姿を揶揄したり、逆に被害者意識を抱くようでは、決して前向きな、健全な将来は開けないでしょう。今回のことで感じる違和感は、そのへんにあるように思います。<br /> <br /> &nbsp; 【日記】 最高の照明さん Fri, 26 Apr 2013 23:36:47 +0900 462905 https://futamatach.on.omisenomikata.jp/diary/462905 時々、大池公園を散歩します。なるべくカメラを持参します。小さなデジカメです。小さな草花、魅了される里山のたたずまい、など、どうしても撮影したくなる時があります。そんなとき、シャッターを押します。特に最近になって気づくようになったことがあります。それは、陽光という天然の照明がいかに被写体を引き立たせているか、ということです。自然界がなぜこんなに美しいのか、それは大半、太陽の光の照明のおかげだと言えると思います。<br /> どんより曇って薄暗い日、同じ草木や風景も 、それほど美しいとは感じません。しかし、よく晴れた日は、花の色も草木の緑も、輝いています。太陽の光は最高の照明さんとつくづく思うのです。 【日記】 復活の季節 Mon, 08 Apr 2013 17:52:38 +0900 453273 https://futamatach.on.omisenomikata.jp/diary/453273 4月を迎え、すっかり春本番となった感じです。厳しい寒さに耐えた日々はついこの間です。桜も早目に咲いたものの、寒さの戻りで、白っぽい花がやっと枝にくっついているような花見シーズンでしたね。でも、ここにきて草木も目立って伸び始め、花たちもあちこちで咲き競っています。林を眺めると、新芽が銀色に輝いています。新緑の季節はもうはじまっています。「山が嗤(わら)う」というのはいまごろのことでしょうか。おもしろい表現ですね。<br /> 植物の好きな筆者は、草花の芽生え、木々の新芽の発育を目にすると、それだけでうれしくなります。つい数か月前、秋の終りに、一年の活動を終えて葉を落とした木々です。枯れた草花です。しかし、あの耐えられない厳しい冬を越え、凍てつく日々をしのいで、今、新たな生命活動を開始しつつあります。記録的な寒さであっただけに、これはあたりまえではないとつくづく感じます。<br /> キリスト教会では、毎年この時期、復活祭=イースターを祝います。人類の罪を担って十字架に死なれたイエス・キリストが、そのあがないをまっとうして三日目に復活したという、福音書の記述に基づき、キリストの復活を教会の原点として記念し、祝うのです。それは、一度死んだともいえる草木が、いわば死の季節を越えて、奇跡的に新しい命を吹き返すこの季節にふさわしいといえましょう。<br /> 晴れた日は、空の太陽がまぶしいほどです。<br /> &nbsp; 【日記】 不都合な事実 Thu, 28 Mar 2013 14:25:59 +0900 447590 https://futamatach.on.omisenomikata.jp/diary/447590 ある保守系の全国紙の記事を見ました。先ごろ行われた高校社会科の教科書検定で、太平洋戦争末期、沖縄で起こった住民の自決について、日本軍の関与を認める記述が通ったことについて報告していました。記事は、このような流れを、「自虐史観」に添うものとコメントしていました。<br /> 「自分で自分を責めさいなむこと」と広辞苑にあるところからすれば、確かに自虐的かもしれません。しかし、歴史に向かい合う時、自分にとって不都合な事実もありのまま見つめる勇気が必要でしょう。都合のよいことだけとりあげたり、不都合な事実を美化しようする誘惑は避けるべきでしょう。事実をありのままに見ようとする努力からこそ、未来は開かれるものです。沖縄の歴史を学ぶ青年たちの判断力を信じたくあります。 <br />&nbsp; 【日記】 礼のこころ Mon, 25 Mar 2013 00:47:09 +0900 446013 https://futamatach.on.omisenomikata.jp/diary/446013 前の歩道の掃除をしていました。時々、人が通ります。ご迷惑にならないように気をつけながらほうきを動かします。場合によっては、通行を邪魔しないように、少し寄ってみたり、動きを留めることもあります。たいていのかたは、黙って、フツウに通過してゆかれます。でも、今朝はちょっと違う場面がありました。小さな女の子をベビーカーに乗せた年配のご婦人(女の子のおばあちゃんと見受けました)が通られたのですが、動きを留めて通過を待っている当方の脇を通り過ぎるとき、かすかですがはっきりと、頭を下げ、会釈してくださったのです。恐縮し、またうれしく思いました。 【日記】 いのちのたくましさ Thu, 21 Mar 2013 22:16:12 +0900 444512 https://futamatach.on.omisenomikata.jp/diary/444512 今日気がつきました。当方の建物の横の花壇のヤマブキの花が咲いていました。ここ数日の暖かさで、一気に開いたのでしょう。植えてある場所は、陽あたりは良くありません。直射日光は朝一瞬あたるくらいではないでしょうか。ここに植えて一年ですが、ここで花を付けたのは初めてです。このような条件のよくないところでどうかな、と思っていたのですが、立派な花がいくつも付いていました。命の力に感動しますね。そして、花が元気をくれます。命の力ってすごいですね。 【日記】 住まい今昔 Mon, 18 Mar 2013 22:10:52 +0900 443042 https://futamatach.on.omisenomikata.jp/diary/443042 横浜市内あちこちで、家並みを見る機会がよくあります。最近の住宅地を歩いて感じるのは、建物の外観が、自分が育ったころと余りにも違っているということです。どれも、展示場で見るような、洒落た、垢ぬけた家々です。きっと、内装や住みごこちも良いのでしょう。けれども、率直な所、無機的で、古来の日本家屋に見られた、落ち着き、おもむきが感じられないものがほとんどです。古き良き建物文化を継承することは不可能なのでしょうか。 【日記】 住まい今昔 Mon, 18 Mar 2013 18:37:23 +0900 442971 https://futamatach.on.omisenomikata.jp/diary/442971 横浜市内あちこちで、家並みを見る機会がよくあります。最近の住宅地を歩いて感じるのは、建物の外観が、自分が育ったころと余りにも違っているということです。どれも、展示場で見るような、洒落た、垢ぬけた家々です。きっと、内装や住みごこちも良いのでしょう。けれども、率直な所、無機的で、古来の日本家屋に見られた、落ち着き、おもむきが感じられないものがほとんどです。古き良き建物文化を継承することは不可能なのでしょうか。 【日記】 過去の評価のむずかしさ Tue, 12 Mar 2013 23:24:52 +0900 440102 https://futamatach.on.omisenomikata.jp/diary/440102 最近、あるメジャーな動画投稿サイトを見ていて気になることがあります。それは、太平洋戦争の時、日本(軍)がとった行動について、当時を知る関係国の人々の中から、西洋列強から自国を解放してくれたと感謝する人の発言等を取りだして投稿するケースが多いことです。見ていると、なんだか日本が正義の味方のような気がして来ますが、はたしてそうなのか、考えさせられます。どんな名目にせよ、武力による干渉を受けてうれしい国はないでしょう。歴史に卑屈でもいけないでしょうが、歴史を美化することはあってはならないことと思われます。 【日記】 思い遣り Fri, 08 Mar 2013 00:08:15 +0900 437526 https://futamatach.on.omisenomikata.jp/diary/437526 日本のすばらしいならわしの一つに、「思い遣り」(おもいやり)があります。自分のことだけでなく、他の人のことに心を用いるということです。これは、世界の他の国の人々からも称賛されていると聞きます。しかし、この思い遣りが影をひそめてしまったような現実を見聞きすることも少なくありません。道路で、横断歩道を渡る時、こちらの姿を見ているのに停止しないで、早く行けとばかりに迫ってくる車、狭い道で、車が思うように進めないのがわかっているのに、道の真ん中をゆっくり歩いて譲ろうとしない歩行者。なかなか他者の立場を思いやることができません。 【日記】 受難節 Sun, 03 Mar 2013 22:01:54 +0900 435490 https://futamatach.on.omisenomikata.jp/diary/435490 今年のイースター(キリスト復活祭)は3月31日(日)です。前日までの40日間は、古来教会で「受難節」(レント)としてキリストの受難を偲ぶ期間として守られてきました。救い主が、その受難(十字架の死)によって、人を「罪」から救うというのは不思議な感じがしますが、まさにそれが聖書の中心なのです。筆者は、今年は、好きなコーヒーをちょっと控えて、わがために十字架に苦しまれたキリストの苦しみを偲ぶようにしています。自らの罪深さをしるほどに、十字架のとうとさが身に沁みます。 【日記】 わかちあい Sat, 02 Mar 2013 15:05:10 +0900 434755 https://futamatach.on.omisenomikata.jp/diary/434755 近くのお店のかたから、可憐なイエローの花の苗をわけていただきました。散歩の途中、ご挨拶すると、お花の話になり、お店の前にたくさんある植物の中から、上記のお花と、もうひとつ、挿し木で付くというお花をたくさんゆずっていただきました。小生も植物を育てるのが大好きなので、うれしくいただきました。花屋さんで買うのも楽しみではありますが、こうしてゆずっていただいたり、さしあげたりして、かわいい花が広がって行くのは素晴らしいなと思いました。いままで、余り人に差し上げることは少なかったのですが、これからはぜひそんなことをしたいなと思います。